良書でした

最近秋葉原の風景がどうして美少女のアニメの絵ばかりになっているのか?そしてなぜそうした絵を好む人たちが秋葉原に集中するのか?こういった問いを建築史や文化論、社会学など多角的な視野から分析したのが本書である。かつては「官」から「民」へ「民」から「個」の方向へ政治・経済・文化の流れがあったのだが、「未来の喪失」によって「個」から「民」へそして「官」へ流れるようになり始めた。その顕在化した例が秋葉原なのであるが、この流れは秋葉原以外でも同様のことが起きはじめている。



本書はよく見られるオタク論にとどまらずに、アメリカの文化との関わりからみるオタクへの系譜、秋葉原の街の歴史、秋葉原以外の街(渋谷、お台場)との比較など様々な視点で秋葉原とオタクの関係を論じているのが面白い。オタク化する秋葉原を見るとどうしても否定的なイメージで語られがちであるが、趣味に走る秋葉原の現状を冷静に直視しつつも、むしろ希望へとつなげようとする作者の態度に僕は共感を覚えた。

戦後アメリカからの価値観が我が国に洪水のように押し寄せた結果、既存の共同体(会社、地域、家族等)の「個」への解体が進んでいった。構造改革によって弱体化した「官」が「民」に丸投げをし、「民」が疲弊しきった現在、この流れはますます強まる傾向にある。しかし一旦は共同体から解体されてしまった「個」(ここで言う個とは才能のある個人のみならず、今まで凡人とされてきた人々の中に潜む個性も含めて)が主張し、これら「個」が集まってシナジー効果を引き出すことで、「民」そして「官」に影響を与え、ついには社会を変える原動力になるのかもしれない。いや、現にそうなりつつあるのだ。